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Blue Moon 最終話

 ――なんだ、これは。


 眼前で起こっている状況が上手く把握できない。
 安田が体育をサボって何をやっていたのか、何故か制服のままで壇上の真ん中に立っている。その顔を見ると目線は俺の方を向いていて、その口には薄い笑みを浮かべている。
 その視線をひとまず無視し、周りを見回してみる。すると、そこには体育を終えて帰ろうとしたクラスメートたちが皆一様に壇上の安田へ視線を送っていた。
 そこで再び安田に視線を戻す。すると安田は俺への視線は変えずに何か喋っていた。だが、上手く奴の声が耳に入ってこない。
 今気づいたが、酷く周りが静かだ。誰かの声はおろか、雑音すら耳に入ってこない。


 ―― 一体俺はどうしたと言うんだ。


 今置かれている状況よりも、何故自分の耳が役に立たなくなったのか、が気になった俺はその要因について考えてみる。
 そうなった原因が必ずあるはずだ。一体それは何だろうか。


 ――待てよ、そういえば先程疑問に思った事がなかったか?


 そう思った俺は目を見開き、今見える視界をどこかに注目するではなく、ぼんやりと見つめてみた。すると、何かおかしいところに気づいた。視界にあってはならない物が見えた気がした。


 ――今の違和感は何だ。この視界のどこがおかしい。


 今映っている視界を一つ一つ注意して見てみる事にした。


 首をかしげる男たち。

 安田の方を指さして何かを話している女。

 体育用具室への扉を開いていた赤星の後姿。

 窓から見える木々の群れ。

 こちらを見ながら何かを話している安田。

 安田の足元で縛られ横倒しにされた月村。

 少し古びた生地が目立つ緞帳。


 ――待て、今あってはならぬ物がありはしなかったか?


 それに気づいた時、体内の血液が同時に疾走した。
 同時に世界の色が戻っていき、クラスメートたちのざわめきの声も耳に飛び込んできた。
 猛る心を必死で抑える。すぐさま走りそうになった足を必死に留めた。
 周囲にばれぬように静かに深呼吸を一つし、少し心を落ち着けた。


 ――まずは考えろ、高町恭也。


 そうだ、今は状況を整理すべき時だ。些末なことをしている余裕などないのだから。

 奴は今壇上の中央に立っている。俺との距離はおよそ25――いや30m程はあろうか、どちらにしても長すぎる距離であり、一足でとても踏み込める距離ではなかった。
 そして奴の武装に関しては全くの不明、対して俺は体育の後の為武装は一切無かった。

 つまり、対術のみで力量の不明な敵を戦うことになると言う訳だ。これはかなり絶望的な状況だろう。迂闊に動ける状態じゃない。
 動くとすれば奴に気づかれないようにするしかないが、俺の周りには遮蔽物は一切無し、となれば奴の目に映らない動き――神速――で近寄るしかない。
 しかし、この距離では届かない。完璧な神速であれば話は別なのであろうが、俺程度の神速では到底届く距離ではなかった。

 その絶望的な結末に頬に汗が伝った。背中にもうっすらと汗がにじんでいるのがわかった。何とかこの状況の突破口をないか、再び思考することした。


 ――月村、無事なのだろうか。お前に何かあれば俺は……










Blue Moon 最終話










 月村から視線を安田に戻した。すると、俺の困惑している姿がそんなに嬉しいのか、先程の笑みに比べ一層嘲りの色が濃くなっていた。


 ――そうだ、奴の目的は。


 奴の力量がわからない以上、現段階でこの状況に対応できる策など思いつくはずもなかった。せいぜい奴の決定的な隙を見つけて踏み込むくらいだ。それにこれは俺が絶えず注意を払っておけば問題ない。いずれ見つかるだろう。
 もし見つからなければ、作り出せばいいだけの事。

 まぁ、それに関してはひとまず置いておくことにして、問題は奴の目的だ。
 おそらくは俺の考えた通りなのだろう。この状況が全て指し示している。

 奴は御神を疎ましく思う者、もしくは組織の一味、あるいはその組織に金で雇われた凄腕の諜報部員なのだろう。
 奴の考えた筋書きはこうだ。
 転校生として何食わぬ顔をしてこの学校に潜入。そしてできるだけ俺の近くに寄れるように同じクラス近くの席を取れるように画策。諜報活動についてのマニュアルを知らない俺だが想像はできる。
 おそらくは潜入前からすでに色々調べていたのだろう。特に俺の交友関係は狭い。調べるのは容易だったろう。

 まず直接俺へと近づかずに月村に照準を合わせた。これは俺に不自然な所を見せない為か、それとも他の要因があるのだろう。そうして得意の喋りで月村と仲が良くなったところで、俺に近づく。
 もしかするとそれも考えて俺よりも更に月村に近い席を選んだのだろうか。そうだとすると、何とも感心させられる奴だ。

 そして俺の近くで何食わぬ顔で諜報活動。だがしかしここで一つ問題が生じる。


 ――シュークリームの件だ。


 あれは一体どういう意図があったのか。一見意味はありそうなのだがはっきりとはわからない。
 俺が予想ではおそらくあれは俺の力量を試――と、そこまで考えたところで奴の行動に隙が生まれた。
 月村を無視し、俺に背を向けそのまま歩き出したのだ。


 ――好機ッ!


 世界から色が無くなる。先程から聞こえていたざわめきも完全に消失した。その世界の中で俺はゆっくりと走り出す。
 おそらくは届かないだろうが、それでも問題ない。奴はそれ程のミスを犯したのだ。
 ぬるりとした感触――気にするな、これは気のせいだ――に顔をしかめる。
 視界には未だ俺に背を向けている安田の姿があった。その後姿に段々と色がつき始めていた。


 ――これは行ける!!


 世界に色が戻り、皆のざわめきも耳に届いた。それでも構わず走り続けていると、視界の端にあってはならない姿が映った。
 はじめは特に気も留めていなかったそれは壇の下で月村の下に向かおうとする俺に立ちはだかり、ゆっくりとこちらを向いた。
 そこで俺は走るのをやめるしかなかった。
 何とか踏みとどまると、目の前に立ちはだかる男の姿を確認した。

 そいつは両手に木刀を持ち、それを正眼に構えていた。その姿はまさに威風堂々という事場に相応しく。俺へと向けられた剣気はまさに正道。とても俺には真似のできぬ芸当だった。

 そう、そんな真似ができるのはここに唯一人。
 正道を行きながら邪道を進む俺を認めてくれた唯一無二の親友――赤星の姿だった。


「高町! ここを通りたいか!」


 何時もウチの道場で剣を重ねている時に発せられる以上の迫力で俺に話しかけてくる。
 何故、赤星が俺の邪魔をする。


「――通りたいに決まっている。しかし何故お前が」

「高町! ここを通りたい理由を何だ。答えろ!」


 間髪入れずに赤星はそう切り替えしてきた。


「――――ッ」


 赤星の様子がいつもと違う。それに何故だ。何故俺の邪魔を――安田の味方であるかのような真似をする。


「赤星……そこをどけ。今はお前と話している暇はない」

「いいや、どく訳にはいかないな。しばらく俺との話に付き合え、高町」


 木刀を逆袈裟に振りながら赤星がそう言った。


 ――本当に俺の邪魔をするんだな……赤星。


 俺は八割の決意と二割の後悔をその手に握り締め、それを赤星に突きつけた。


「赤星、俺には時間がないんだ。いくらお前とはいえ、ここは力づくでも通して貰うぞ」

「―――な!?」


 突き出した左手を曲げ、体を半身にして踏み込んだ。
 赤星は突っ込んでこないと油断をしていたのか、素手相手に剣を振るうのをためらったのか防御の姿勢をとった。
 それを見とめた俺は首元目掛けて手刀を放つ。
 円弧を描くかのように放たれたそれは首に当たる訳でもなく、赤星の木刀によって防がれた。


 ――本命は次だ。


 それは手刀の軌跡とはまるで正反対の軌跡を描いた。そしてそれはそのまま赤星の側頭部を薙いだ。
 流れる景色の中、突き出した右手の下に赤星の体が崩れるのを見る事ができた。
 右手の甲に少しの痛みと、心に激しい痛みを伴ったそれは赤星を完全に昏倒させた。
 崩れ落ちた彼の姿を見た時、俺は心から赤星にすまないと思った――だが、後悔ばかりしてられない。

 赤星の脇を通り、俺は壇の前まで辿りついた。月村はもう目の前だ。
 月村は依然目を閉じたまま横たわっていた。


 ――彼女は無事なのだろうか、早く様子が知りたい。


 そんな思いで壇に手をかけたその時、思いがけない声が背後から聞こえてきた。


「た、高町……まだ話は終わってないぞ」


 まさか、という思いで俺は後ろを振り返る。
 そこには俺に打たれた頭を押さえながら、木刀を杖代わりに立つ赤星の姿があった。


「そんなに俺の邪魔がしたいのか……? 何故だ、赤星。月村が心配だと思わないのか?」


 赤星は押さえていた手をどけて杖代わりの木刀を両手で持ち、それを勢い良く振り上げた。そして、再び正眼の構えを取った。
 だがすでに足に来ているらしく、体全体が小刻みに震えていた。


「高町、なんで月村を助けようとする」

「――赤星、一体何を」

「いいから答えてくれ。これは大事な事だから」


 よろけながらも必死で立ち、そう答える赤星の言葉には本当にこの質問は大切なものなのだ、と感じさせる何かがあった。
 ここで初めて俺は赤星の質問を冷静に考える事ができた。


「友達を助けようとするのは当たり前じゃないのか?」

「ちがうだろ、高町。友達だからお前は本気で俺を打ち倒したのか? 友達だからお前はそんなに必死だったのか?」


 友達を助けるのに必死で何が悪い。俺は本当に月村の事を心配したんだ。そしてそれは今も続いている。それは月村が友達だからではないのか?


「ここまで言ってもわからないか! いいか! お前は友達だからあんなに必死だったのか? ちがうだろ! 月村だから必死だったんだろう!!」

「―――ッ!?」


 親友の言葉が胸に響く。その言葉は俺の嫉妬で凍った心を解凍し、俺に大切な事を理解させた。


「そうだ……何で俺は今まで……」


 赤星は苦痛に歪んでいた顔に必死で笑顔を作っていた。


「そ、そうだろう高町。さぁ、お前の言葉で聞かせてくれ」

「――あぁ、俺はどうやら月村の事が」


 様々な思い出が再生を繰り返す。
 短い付き合いながらも、たくさんの出来事があった。それはどれも楽しい出来事であり、こんなに学校生活を楽しめた事は彼女に出会うまでありえない事だった。
 この思いに気づいた時、俺は彼女のことを考え、身を引いた。彼女が幸せになれるのなら、それは俺にとっても幸せであろう、と。
 だが、それは間違いだった。自分自身がこんなに利己的な人間だとは思わなかった。


「月村の事が好きみたいだ」

「よく言った、高町。それでこそ俺の認めた男だ」


 赤星の言葉が少し気恥ずかしい。
 その場の雰囲気とは言え、俺はなんて事を口走ったのだろう。そう思った時だった。


「ほらな? 月村なら絶対いけるって言ったろ?」


 ――何?


「うん、かなり恥ずかしいけど、赤星くんの言う通りだったね。ありがと」

「はは、よせよ。あぁ、立ってるのもしんどいな、座ろう」

「あ、大丈夫? 恭也ったら本気で殴るんだもん。びっくりしちゃったよ」


 ――な、何?


「お二人さん、おめでとう。これで新たなカップル成立やな」

「高町くん、月村さんおめでとー!」

「二人とも幸せにな!」

「ヒューヒュー!」


 ――誰か俺が入れる穴があったら紹介してくれ。










 ――そんな気分だ。




















 放課後の夕日が差し込む教室に集まった。
 俺の目の前では安田と赤星が正座していた。月村はと言うと、俺の左手に纏わりついていた。


「で、お前らの主張を聞いてやろうか?」

「せやなぁ、何と言うかやな。月村が恋のことについて困ってるみたいやったからな? ここは俺らと言うかクラス全員で力を貸してやらんとあかんやろう! みたいなノリになってな」


 酷く頭が痛む気がするのは気のせいではないだろう。


「赤星は何か言う事はあるか?」

「いや……始めは俺も止めたんだぞ? でもあまりに月村が可哀想だったからな、つい」


 俺はどうやら良い友人を持ったらしい。
 これから先どうやってクラスメートたちと顔を合わせたら良いのやら。
 そう思いながらも本気でこいつらを叱れないのは、今の自分が幸せに満ちているからだろうか。
 目に見える危険も解消された今、俺は今まで疑問に思っていた事を聴いてみることにした。


「そういえば、前々から聞こうと思っていた事があったのだが。構わんか?」

「ん? 何や、言うてみ。答えられる事なら答えるぞ」

「いや、お前あの時どうやってシュークリームやパンを取ったんだ? それが今まで気になってた」


 俺の言葉に赤星は何か納得したようか顔をし、安田は思案するかのような仕草をした。


「ん……すまん、答えられへん」

「何故だ? 俺はこんなに恥ずかしい目に合わされたんだぞ? 少しはその見返りがあってもいいんじゃないか?」

「い、いやな。パンの事は知らんがちょっとデリケートな問題やねん」


 目の前まで顔を寄せて睨みをきかせると、安田は少ししどろもどろになってそう答えた。


「――まぁいい。文句は色々あるが、一応礼を言っておこう」

「あぁ、頑張れよ。高町」

「おう、次があったらまた世話したるで」

「――二度はいらん、二度は」











 その後、色々な事を話したが結局安田の謎については一言も奴の口から語られる事はなかった。
 主な内容は今日のことよりも文化祭のことについてが大半だったのも俺たちらしい、と言えばらしいのかもしれない。

 やがて日が落ち、暗くなったところで、お姫様を送っていくように、と二人は言い残し、家に帰っていった。
 そして、俺の傍らには月村の姿があった。


「何かまだ恥ずかしいけど、そろそろ帰ろうか?」

「そ、そうだな。帰ろう」


 二人並んで歩き出す。そこまで送っていこうか、と考えたが、すぐに結論に至った俺は、直接家まで送っていくことにした。


「そうだ、恭也。今日はこれからウチに来てくれる? ちょっと大事な話があるんだ」

「あぁ、元から家まで送っていくつもりだった」


 何時の間にか恭也と呼び名が変わっていたが、そう呼ばれるのも悪くない。むしろ嬉しさすら感じられた。
 こちらを見上げながらそう答える彼女を本当に愛しい、心から彼女を守りたい。この身が燃え尽きようと、彼女を守る為に俺は一生を費やす。
 そんな決意を誰にも聞かれる事もなく、心の中で思った。


「どうしたの? 何かついてる?」

「いや、気にするな」


 そういうと、俺は月村の手を掴み、優しく握り締めた。
 それに気づいた月村は顔を紅くした。
 おそらく俺も同じような顔なのだろう。
 俺はそれを誤魔化すように夜空を見上げる事にした。
 そこには数多の星々と、光り輝く月の姿があった。
 それは何度見ても美しく、そして雄大だった。
 今なら安田の言葉がわかるような、そんな気がした。


 ――青い月は……すぐ傍にあったんだ。










 ここで俺の語る話は終わりだ。
 何とも恥ずかしい話である。本当に忘れたい出来事であり、本当に忘れたくない出来事だった。

 この後、俺は月村――いや、もういいだろう。忍の口から大事な話を聞かされる。
 それは他言無用な重大な話であり、これを見ている貴方たちにもお話する事はできない。
 だが、一つだけ言っておこう。
 俺は人生の伴侶に忍を選んだ。そして、それから長い年月が経った今、この話を告白する決心がついた訳だ。


 ――何故、こんなみっともない話をしたかって?


 答えは簡単、と言いたい所だが、本当の所理由など無かった。敢えて言うとすると、誰かに話してみたかったのかもしれん。何とも人間とは複雑な生き物であろう。
 これまで、そしてこれから先ずっと俺は月村の傍らで彼女を守り続ける。それは己に課した義務であり、約束なのだから。
 青い月は今も、そしてこれからも俺の傍らにあり続けるだろう。

 では、そろそろ皆さんともお別れだ。俺の長い長い話に付き合ってくれて感謝する。
 次は無いとは思うが、その時はまた付き合って欲しい。
 では、また会える日を。










 ――そういえば。




















 ――あの時安田はピアスをしていただろうか。










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――あとがき――
 最終話までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 本当に話の纏め方にとても迷いましたが如何でしたでしょうか?
 SSでは初めての最終話ですので、うまい事纏められたかどうかが自信なかったりする訳でありますが。

 それと12話まで感想を送り続けてくれた人たちには感謝の言葉もありません。
 本当にありがとうございました。

 これでしばらく長編はお休みする予定ですが、もしリクエストがありましたら、どんなSSがいいか感想に書いて送ってくれると嬉しいです。

 では、次は短編かオリジナルで会いましょう。
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  1. 2005/07/13(水) 01:32:22|
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霧城昂

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